人生の意味

 

1.人は、「自分は何のために生き続けなければならないのだろう?人生の目的とは何だろう?」

と、考えるものです。

ユダヤ人でアウシュビッツを生き延びたフランクルは、「人生には意味(生きている意味)が必要だ。」そして、「自分の満足のみのため生きていては、意味を見出せない(自分の欲望には際限が無いという事も理由の1つと思われる)。」「アウシュビッツという極限の中でもなお他者のため何か幸せを与え、ありがとうと言われた者が、やはり、生き延びた」というような内容が書かれてます。途中までしか読めてませんが。

2. 単純な話、大金持ちになっても他者から「ありがとう」と言われない者は、やはり、人生の意味を見出せない。自分の生活費を、何らかの全うな形で稼ぎ、その上で、他者(妻子・友人・困っている方・不正義の犯罪の被害者等いろいろあります)のため何かを為し、「ありがとう」といわれると、うれしくなり、これが生きる意味なのかとおもえるようになる。こういう事のようです。

 与える愛(ヴォランティーア)とも読めます。

3.かといって、「他人のためにボランティアしている!なぜ、むくわれないんだ!」と叫ぶ、本末転倒な方々も大勢います。自分のケツを自分でふかず、他人にふかせ、大惑を他人にかけ。また、他人からボランティア(与える愛)をもらっても、「もらって当然。」と感謝すらしない。

4.まず、個人主義、つまり、自分のことは自分でする。謙虚に肉体労働をし、汗水たらして働き。自分のケツは自分でふいた上で、他者のためにボランティアする。これが、フランクルの言いたい事でしょう。

また、老人ホームのご老人も、他人にお尻はふいてもらってますが、きちんと、自分で出来ることは自分でし、そして、助けてもらうと、必ず「有難う!」と言ってくれてます。さすが、長く生きた人生の先輩だなと思います。

 

5.また、他者(妻子・友人・困っている方・不正義の犯罪の被害者等いろいろあります)のため何かを為し、「ありがとう」といわれると、うれしくなり、これが生きる意味なのかとおもえるようになる脳をインプットされたDNAが長い自然淘汰の中で生き残り、自分のことしか考えない脳をインプットされたDNAは滅びていく。種の保存にとって前者の方がより強力に子孫を残せる事からも当然と言えるかもしれません。